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花月(かげつ)

【分類】四番目物 (雑能)

【作者】不詳

【主人公】シテ:花月

【あらすじ】(舞囃子の部分は斜体の部分です。

       仕舞〔クセ〕の部分は上線部、仕舞〔キリ〕の部分は下線部です。)  

子どもが7歳の時、行方不明になったので、父は僧となり、その子を捜して、九州彦山の麓から出て諸国を廻り、ついに都に着き、清水寺に詣でます。そして、来合わせた門前の男に、何か珍しいものはないかと尋ねると、男は花月という喝食の話をします。まもなく、その花月が現れ、すすめられるままに恋の小歌をうたってたわむれます。そこへ鶯が来て、枝を飛び交い花を散らすので、弓矢で狙いますが、仏の殺生戒を破るまいと思いとどまります。そして、今度は、清水寺の縁起を曲舞で舞って見せます。先ほどから花月の様子を見ていた旅僧は、これこそ行方を尋ねる我が子ではないかと思い、さまざまの質問をし、自分は父だと名乗ります。花月は父との再会を喜び、門前の男の所望にまかせて、鞨鼓を打って、天狗にさらわれてからの身の上話を謡います。そして、これからは父と共に仏道修行に出ようと立ち去ってゆきます。

【詞章】 (舞囃子の部分の抜粋です[第34回名古屋春栄会の舞囃子の部分は斜体の部分です。]。

       仕舞〔クセ〕の部分は上線部、仕舞〔キリ〕の部分は下線部です。)  

さればにや大慈大悲の春の花。十悪の里に香ばしく。三十三身の秋の月。五濁の水に影清し。
そもそもこの寺は。坂の上の田村丸。大同二年の春の頃。草創ありしこのかた。
いまも音羽山。峯の下枝のしただりに。濁るともなき清水の.流れを誰か汲まざらん。
ある時この瀧の水。五色に見えて落ちければ。それをあやしめ山に入り。
その水上を尋ねるに。こんじゆせんの岩の洞の。みずの流れに埋もれて.名は青柳の朽木あり。
その木より光さし。異香四方に薫ずれば。さてはうたかう所なく。
楊柳観音の。御所変にてましますかと。皆人手をあわせ。なおもその奇特を。
知らせてたべと申せば。くち木の柳は緑をなし。櫻にあらぬ老木まで。皆白妙に花さきけり。
さてこそ千手の誓いには。枯れたる木にも花さくと今の世までも.申すなり。

これなる果月をいかなる者ぞとおもいて候えば。某が失いたる子にて候。
やがて名乗って喜ばせばやと思い候。いかにこれなる花月。これこそ父の左衛門よ見忘れたるか。
久しく離れたる父に逢い申す事の嬉しさは候。やがて連れて帰國しょうずるにて候。
さ様に仰せららるれば能う似させられて候。いかに花月へ申し候。
この度の御名残りに羯鼓を打って御見せ候らえや。
われはもと筑紫の者。あたり近き彦山にのぼりしに。七つの年天狗に。
とられてゆきし山々を。思いやるこそ.悲しけれ。

〔羯鼓〕
とられてゆきし山々を。思いやるこそ悲しけれ。まづ筑柴には彦の山。深き思いを四王寺。
讃岐には松山。ふり積む雪のしろ峯。さて伯耆には大山.さて伯耆には大山。
丹後丹波の境なる.鬼が城と聞きしは天狗よりも.おそろしや。
て京近き山々さて京近き山々。愛宕の山の太郎坊。比良のの峯の次郎坊。
名高き比叡の大嶽に。すこし心のすみしこそ。月の横川の流れなれ。日頃はよそにのみ。
みてや止みなんと眺めしに。かづらきや高天の山。山上大峰釈迦のだけ。
富士の高嶺にあがりつつ。雲に起きふす時もあり。か様にくるいめぐりて。心乱るるこのささら。
さらさらさらさらとすっては謡い.舞うてはかぞえ。山々峯々。里々を。めぐり廻ればあの僧に。
あい奉るうれしさよ。今よりこのささら。さつとすててさ候らわば。あれなる御僧に。
つれまいらせて佛道。つれ参らせて。佛道の修行に.いづるぞ嬉しかりける.いづるぞうれしかりける。

 

 

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